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其の参  変えられようとする我が国

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其の参  変えられようとする我が国
「イゴよろしく」なんでしたっけ? 覚えてないけど、聞いた記憶があるでしょう。フランシスコ・ザビエルが我が国に来た年ですね。思い出しましたか?・・・この頃の我が国は、農業従事者構成は9割以上あったとされています。商業、工業、武士であっても、畑をやっていたと記述があります。
我が国のスケールです。尺貫法、長さは尺。これは 人の腕にある尺骨が約30センチだったので、尺。寸に尺、間に、町、里など、人の命が基準です。
面積では、坪、これはひとの生活に使用する面積からですね。反、一石を産出できる、田んぼの面積です。一石とは、一日三合のご飯を食べられると生きて行けます。一年間で1000合(一石)のコメがあればいいのですね。そう、田んぼは 一反あれば一人が生きて行けるのです。これも命からでた単位ですね。面白いでしょう?
この頃、地域社会は完成されていました。農村ではお互いが助け合い、楽しく暮らし、農業イベントでは、田植え、これは皆で唄を歌いながら、太鼓を叩きながら総出で植えました。唄や太鼓を叩いて田植えしない専属の人も居ました。
不公平も、善も悪もありません。年貢を納めますが、飢饉のときには、皆に放出します。お金の価値観もなく、子供は皆で育てます。セックスも自由で、夫婦の観念もなく、理想郷でした。セックスほど気持ちのよいものが、悪いなんて言うことは、ありえないですね。倫理観がそう植え付けられたのでしょうね。
そんな場所に、彼らはやってきました。奴隷を使う彼らに、土族である農民が楽しげにしていることが脅威でした。家を持ち、庭があり、台所があり、器を使った食事をしてそれぞれに分担があり、教育もありました。
彼らが話す、罪を背負って生まれ、絶対神がお許しくださることを子どもたちに話しても、おかしな話だね、と 取り合ってもらえませんでした。布教活動は難航していました。当時の宣教師たちにとって、難易度のたかい、民度が高すぎる、落とせない民族だったのでしょう。
彼らにはもう一つの目的がありました。貿易です。火薬を欲しがる武将たちはその条件に喜んで応えました。火薬一樽と若い女性の奴隷が50名の相場、この結果海外へ50万人の若い日本女性が奴隷として売られてゆく結果を残します。秀吉が伴天連禁止令を発令する根拠はこれだと言われていますが、我が国の教育では、教えることが出来ませんでした、戦後の我が国の教育内容を決める側と、お金の流れや、ザビエルたちのしたこととは出処がいっしょだからです。

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