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ホピの予言

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あまり聞き慣れない言葉ですが 私達の間では 普通に語られています
合衆国中西部に住むネイティブの一つ ホピ 彼らが昔から語り継がれてきた 予言があります
世には多くのそういうものがあり 物質文明に侵されていない人たちほど 神聖なことに近いと言われています
私達 日本民族も 非常に崇高で 神に近いところにいる民族でしたが いつの間にか そうでなくなってきたようです それが何時の時代なのか 開国を迫られた時なのか 長州藩に仕掛けられた時なのか だいたいその辺りからだとは想像がつくのですが 悲しいかな そのような教育はされてこなかったので 何処かに埋もれてしまいましたね
 物質世界にほんろうされ進むのか そうでないか 2つに分かれることは遠い昔から言われてきました 私達の心のなかにも 2つのことが秘められているようです
 これからの選択の時代に向けて 多くのことを学ばなければならないのでしょう

 その一つとして ホピの 予言は 大変参考になるものだと思います 今週 試写会を経て 実行委で上映会に向けて準備をしてゆきます

 とても楽しみで 大きな意味のある企画でしょうね 再確認をしながら噛みしめてゆきたいと思います

 興味のある方はぜひ ご覧いただければと思います とても大切なコメントが 秘められていますよ

いい記事があったのでコピペ


映画「ホピの予言」について/監督 宮田 雪

 アメリカ南西部、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、コロラドの4つの州がひとつに交差しているフォー・コーナーズ。コロラド高原といわれる荒涼たる砂漠と、グランド・キャニオンなどの巨大な渓谷に囲まれたここは、長い間、いわゆる西洋近代から隔絶した空間であり、そこに住むホピやナバホ・インディアンたちによって、聖地として守られてきた土地であった。

 ここはアメリカ大陸の背骨であり、心臓部ともいわれ、またヒマラヤなどと同様に地球の自然エネルギーの震源地であり、もしここが破壊されたら、それはナバホやホピのみならず、全地球的な規模の自然の変動が起きてしまうと、彼らによって信じられてきた。
だからこそ、とりわけホピは、ここを彼らの言葉でマーサウという偉大なる精霊(グレートスピリット)から与えられた土地であり、また地球上のすべての生命のための聖地であるとして、遙かなる歴史の曙から、この大地の番人としてここを管理してきたのだ。
これまで、アメリカ・インディアンと呼ばれるほとんどの部族が、いずれも祖先伝来の土地を追われることを余儀なくされてきたなかで、ホピだけは、少なくとも2000年以上の長きに渡って、この聖地に住み続け、あらゆる差別と迫害に耐えて、その伝統的な生きかたと、偉大なる精霊から与えられたという予言の石板を守りつづけてきたのである。
石板は、宇宙の計画(ユニバーサル・プラン)としてホピに与えられたものであり、彼らの言葉で第3の世界と呼ばれるこの世界の始まりから、浄化の日を経て、第4の世界と呼ばれる新しい世界が始まっていくまでのことが、印されたものであるという。そして、彼らは、常にホピ一族自身に起こる変化と、この地球の上に起こる出来事の変化を、その石板と照らし合わせながら見つめつづけてきたのだ。

 では、なぜ、この予言が、ホピの伝統社会から外の世界に伝えられることになったのだろうか?
ホピの8つの村には、キクモングイと呼ばれる独特の精神的指導者がいる。1948年に、ションゴパビ村の太古から伝わる儀式を行う、「キバ」という地中の集会所に、そのキクモングイたちが集まり、緊急の会議が開かれた。なぜならば、予言のなかに、第1次と第2次のふたつの世界大戦と、ヒロシマ、ナガサキへの原爆の投下が、シンボルとして刻まれていたことが分かったからだ。原爆は、ホピの言葉で「灰のびっしりつまったヒョウタン」と表現されていた。
世界がこのまま進めば、地球を破壊しかねない危険な時代に入ってしまうことを、警告として一刻も早く世界に伝えるため、その予言を世界に公開するべきかどうかを討議するために、その会議は開かれたのだ。そして、さらに4日間の会議で予言が検討されたのち、キクモングイたちは、その解読された重大いな教えと予言を外の世界に伝えるために、特に3人のメッセンジャーを選んだ。だが現在、2人のメッセンジャーはすでに他界し、ただ一人、トーマス・バンヤッケが残された(1999年2月没 90歳)。そして、それ以後、彼はキクモングイたちの目となり、口となり耳となって、ホピの予言を世界に伝えることを自らの仕事としてきた。
 この映画は、そのトーマス・バンヤッケ自身によって語られるホピの予言を通して、全ての生命の聖地であるフォー・コーナーズ地域が現在、どのような危機に直面しているのかを、地球のすべての人々に伝えるために作られたスピリチュアルなドキュメントである。
また、フォー・コーナーズ地域は現在、膨大な量の石炭、石油、そして地球最大のウラニウムのベルト地帯といわれ、とくにアメリカのウラン資源のほとんどがその大地の下にあり、世界のウラニウム・キャピタル、グランツやアメリカの原子力司令部ともいわれるロスアラモスを配した、いわばアメリカ合衆国の核開発の心臓部に変貌してしまっているのである。
核兵器であれ、原子力発電であれ、核開発の原点は、ウラン鉱石の採掘から始まり、その原点の採掘からすでに被爆者が生み出されている。
そして聖地はそのための巨大な核廃棄物の処理場に変わり果ててしまい、国家的犠牲地区という名称で、ホピやナバホを被爆させながら、多国籍企業によって開発が押し進められてきた。日本の原子力発電の燃料のウランの何パーセントかも、この聖地から採られたものが使われている。
つまり私たちは、全ての生命の根源とされるホピの聖地を破壊し、平和利用という名でそれらを消費しているのだ。
 古代からの予言を保ち続けてきた伝統派のホピの人々は、このような文明が、母なる地球を被爆させ、その呼吸を困難に追い込んでいるのだ、という認識にいま立っている。そしてウランの採掘から核兵器、原発のすべてに象徴されるテクノロジーを否定し、ホピの生きかたこそがこの地球の病いを癒す唯一の道だと、荒涼たる砂漠のなかで、世界の全ての大地と生命あるものの平和と浄化のための祈りを続けている。
 ホピ―――、それは「平和で満ち足りた人々」という意味であり、グレート・スピリットの教えに従ってその道を行く人々という意味でもある。

映画「ホピの予言」
1986年作品/16ミリ/カラー/75分

監督=宮田 雪  製作=鈴木雅子、宮田 雪、飯岡順一  プロデューサー=田畑祐已
音楽=伊藤 詳  翻訳=北山耕平 他  ナレーター=佐藤 慶

天気わろし

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開拓史以来 十勝に台風が上陸 週に三個 ということと成りました
現在も 雨が続き 農作物への影響や 農作業に大きな遅れが出ています
畑では キャベツやレタスなどが姿を消し 葉モノ 根ものも 危ぶまれています 
自然の采配には 従うしか無く ただ祈るばかりですが これから先 どのような展開に成るのか 不安要素はたくさんありますが 民族の知恵で乗り切ることが大切なことだと言われています
 来月1日は 神社の秋祭り 五穀豊穣を願い 神事や 奉納子供相撲がとり行われ きっと神様に願いが届くことを 祈ります

麦わら帽子2016年8月24日

命の祭り第二回目&虹の市 やんちゃな神さまが贈る自分を生きるコツ
~男が「自分」を愛するとき、女が「自分」を愛するとき~
やぶ田秀行講演会
はるにれピースマーケット(主催者 門平さんのお名前を門脇さんと言ってしまいました 訂正とお詫び申し上げます)
お知らせとご案内 で ゲストお三方においでいただきました 
最後は時間が切れてしまいましたスミマセン



エンジン 各社

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若いころはホンダのバイクが好きで 創始者 本田宗一郎さんを今でも尊敬しています ホンダのエンジンが好きでした 始めて乗ったバイクは OHC のシングルカム 90cc 次は 250ccの 180度クランクツイン レース仕様車両でした 加速は 500フォアーよりもはやかったですね
 内燃機関 エンヤ15から 興味を持ち始め 圧倒的なパワーが好きでした
 
汎用エンジン GX150こちらはホンダ製 除草機に搭載されていて うちに来た時には クランクが破損 エンジン換装 燃料のガム質でバルブが焼きつき オーバーホール かなり華奢なエンジンでした
 に対して もう一台の除草機搭載エンジンは ロビン うちに来た時には 吹き返しがあって ボロボロ かかりが悪く オーバーホールすることに 開けるとサイドバルブ タペットが ゼロギャップで 押してました タペット調整出来ないタイプで 富士ロビンに問い合わせて 温間 冷間時 ギャップを教えてもらい 調整は グラインダーでの削りこみ 組み上げて 無敵のエンジンへと変身しました 富士ロビンエンジン サイドバルブ 古典的な仕様ですが ハーレーのエンジンといっしょですね 信頼度が違うということでしょうね しかも ヘッドガスケットがなくて 鉄の面合わせ どれだけ自信を持っているのかといったところ
 パワーを追求するホンダでは ありえないですね ちなみに レースで多く使用された サニー A12 あるいは A10 エンジンは OHV でした 当時街乗りでも SUツインキャブでは 無敵状態でしたね
ホンダの車では オルティアがB20エンジンで 150馬力 高回転型で 240キロまで加速可能でした 最近入れ替えた車両 アコード F23は 同馬力で 低速型 燃費も良くて 満タンで700キロは走れそうです 十勝向きだなあ と 実感してます

岡山の桃

過去の記事で 田辺人志さんの想い出で 書かせていただいたことがありました 尊敬する先輩で 実績を上げ 素晴らしいお仕事をされておられましたが 家庭に恵まれず 心臓を患い お亡くなりになられたこと とても残念でしたが 多くのことを教えていただきました
 頑張りすぎてはいけない 死ぬほど頑張ってはいけない 業を楽しむこと 私の原点ですね 今でもそうです

 人は 博打といっしょで 良い時のことしか覚えていない これを逆手に取ると ある時期 頑張って実績を作ると 達成感として 自信に繋がることがあります

 当時 灼熱の岡山県海沿い  通常なら二週間の予定が 一月 実習生は二人一組のところ 私一人で伺い はじめのミーティングで 激務なので毎年倒れる学生さんが居るので不調の時は教えて下さい と前置きがあり
 農場を案内していただいて すこし作業をして お昼ご飯 お皿に山盛りの焼き飯 見た途端吐き気がして 食べられないのを 一口ごと 水を含んで飲み込み 時間をかけて完食しました 三日間ほど そんな状態でしたが 慣れてくるとさほどでもなく 家族の方のカマをといだり 資材の先入れ先出し 整理整頓をしたりしていました
 居間で御飯をよばれる風景 障子越しに 庭を眺めて 焼き飯を食べるシーン デジャブで見ていたんですね 現在でも鮮明に覚えています
 通常は 先輩 お父さん お母さん の お三方で作業をされていますが 夏風邪 夏バテで 三人とも リタイヤされて 3日間ほど 一人で作業したことがありました 流石に気合が入りましたが 全部終了 完璧です 先輩にも最高の評価をもらいました
 自分で自分をほめましたし 今でも 克服できた自信を持っています これがあるので へこたれることは 今までなかったのだと思っています 
 このような 経験をさせていただけたことに とても感謝しています 当時の彼女や 友人 いとこ達に はがきを書いたりしたことがありました 友人は ねぎらいよりも 岡山に行っているのなら 土産は 桃やな 桃買うてこい と すごい数の桃を頼まれました
 移動は ヤマハの 500 ロードモデルで行っていたので 桃は 箱をリヤシートにくくりつけて走るしかありません 近所の やおやさんに 帰る日を伝えて 用意してもらい 最終日に取りに行きました 戻ると お父さんが 4箱 桃を用意してくださり 持って帰りなさい と渡されました 合計八箱の桃です きつく縛ると 桃が痛むので ユルメに 縛り付けて 積みました シートなので クッションがあります
 バイクのエンジンは 二気筒で 180度クランク ハイパワーエンジンをさらにハイパワーに改造するので バランサーは 外して キャブレターは 高回転型に メインジェットは 番数を20番ぐらい上げてました 桃には最悪です
 別れを惜しみつつ 帰路につき 岡山から高速道路走行です カウリングに頭を入れて 前傾姿勢で走行します しばらく走ると 横にいたトラックがクラクションを鳴らし 後ろを指差してます 見ると 箱が崩れ 桃が 大きく傾いてます 一度路側帯に停めて 縛り直しましたが 箱が変形しています 手で抑えるしかありません その後は 左手で 桃の箱を 八箱抑えながら 大阪まで走りました 桃は無事に 大阪まで戻ることが出来ましたが 身体はしばらく 斜めってました
 当時 二十歳過ぎ 40年たった今でも この時の記憶は鮮明です 一生の想い出とは こんなことなんでしょうね

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エンヤ15

今現在は 自然栽培ですが 収穫や トレンチャーでの心土破砕 畝の整形など トラクターや 機械を使うことがあります
菌液散布には 動力噴霧器を使うこともしばし 草刈機なども
いずれの機械も 年代物で エンジンなどメンテナンスは必須ですが 消耗部品交換や ワイヤー切れ エンジントラブル ミッショントラブルなど 頻繁に起こります
すべて その都度対応で 短時間の修理ができなければ 収穫や 播種で 機会損失になってしまいます
幸い 機械修理 内燃機関修復などは得意分野なので 大いに助かっています
まあ基本的には 機械物が好きですね 草刈機のエンジンには ひまし油を使用してます 匂いが カストロールのR30に 似ているのですね

 9歳頃 いとこにこれを読むといいよと紹介された本が 「子供の科学」 中学一年頃まで読みました ボロボロになるまで目を通し 特に電気と エンジン 飛行機などに興味があり
 天体や カメラはほとんど読むことがありませんでした
当時小学生が小遣いをためて 模型エンジンを買おうと 子供の科学知識で サイズ 29クラス あるいは35 これは排気量を表す立方インチですね だったのですが ドキドキしながら 阪急百貨店の模型売場に行きました 店員さんは 怖そうな感じで 貴方の年齢だと 29や 35は 大きすぎると付き添っていた父親に言って 15クラスにしなさいと言われて 父もその手の話題には疎い人だったので 言われるままに 15エンジン(2.5cc 馬力は リッター換算で260馬力ありました)を買うことに成りました 初心者向けの 入門クラスです もっと小さな 049 とか 02 もありましたが しょうがないということで 買って帰りました
 まずは慣らし運転です 取付台を制作して エンジンのかけ方から 恐る恐る グロープラグを熱して 燃料を入れて プロペラを回します そんなことでは かかるはずもなく 結局は 近所の模型屋さんに行って かけ方を見せてもらいました かなりな勢いです 取付台が破損しました こんな強度じゃあ駄目だと怒られ かけ方を教えてもらいました
 10歳の子供が プロペラを回して15エンジンを掛けれるのかというと 難易度が高いのでしょう 慣れれば別ですが
 当時 エンヤ15 販売価格は一万円ぐらい 今でも 一万6千円ぐらいですから 物価指数と合致してません かなりな精密機械で ロータリーディスクバルブの 焼玉エンジン ツーストローク アルコール燃料です
 燃料は 薬局で エタノール メタノールを買い ひまし油を買って 混合します ハイパワー 回転が上がらないので ニトロベンゼンを添加するのですが 高価なものなので ベンジンを入れると 回転が上がることを発見 ずっと使ってました ゆうじんは お金持ちの家なので エンジンは 小川精機の19です わたしは 機体は 飛燕 キー21ですね かれは ムスタングでした
 飛ばしたのと 機体の仕上がりは 私のほうがかなり良かったように思います 主翼の張り具合 塗装など 惚れ惚れするぐらいの出来でした
 ラジコン機は お金がなくて 買えませんでしたが エンジンは 02 01 35 Uコン機で 腕を上げました
 この後 オートバイに興味を持って エンジンや キャブレターなど 本を読んで勉強してました 12歳で手に入れたのが コレダの250 ツースト二気筒だったと思います 今のスズキですね 淀川の河川敷でスピードは百キロぐらいはでてましたね この頃は 1972年頃 混合燃料のことがわからなくて よく焼き付かなかったものだと 思います スプロケットや スターター バッテリー キャブレターを修理してました
 此処最近 模型エンジンを想い出し スタートキットを引っ張りだして メンテしてます 手持ちに 01エンジンと機体があるので また Uコン機 飛ばそうかなあ などと思ってます
 50年前の 私の原点ですね
 この後 16歳で オートバイの免許を取り 乗り続け20歳から 40歳までレース人生と成るのでした 想えば始まりは 「子供の科学」との出会いですね
 そのあとは 20年 農の 人生 これもまた楽し
 今でも機械は大切にして 修理や手入れをしてます トラクターは 1970年製 フォード それに使う道具も 同じ時代のものがいくつかありますが 現役ですよ
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麦わら帽子2016年8月10日

ゲスト無しで 普通の構成でやらせていただきました 今回のメインは 8月6日 9日 広島と長崎に 合衆国が核兵器を使用した 71年前 ですが ラジオでこれを扱うのは 難しいなあと ユルメの構成で 挑みました


オケラくん 修理完了

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トレンチャーの 愛称 「オケラくん」になってますが
チェーンの張りが強すぎて ベアリングがバラけてしまいました
プーラーで引き抜いて 交換ですが 手元には 75mmバイクのクランク用のプーラーしか無くて ちとキビシ
地域のベテランの方に相談したら あるよ 貸すよ と言うご親切に預かり シャフト引き抜き
結局スプロケットも摩耗しており アッセンブリ交換となりました
チェーンテンションは ユルメにすべしと教わり ユルメで運転してます

農法アレンジですが 有材無しで 心土破砕 なので むざい心土破砕ですね 今日施工して 播種します 結果が見えるのは二週間後でしょうか 楽しみです